9月15日から11月29日までの2カ月半、イオンモール熊本で熊本地震復興を願い、木下大サーカスが開催されていました。公演最終日に、熊本県葦北郡芦北町出身の団員、高岡由侑さんにインタビュー。高岡さんは空中ブランコショーでピエロ役を務めました。所属して初めての故郷・熊本公演では、震災の経験もあり特別な思いがあったといいます。「公演を通して『熊本県民だと胸を張れた』と話す高岡さんに、熊本公演での感想や、震災復興に対する思いを聞きました。
芦北町出身の団員、高岡由侑さん、熊本公演に感じた特別な思い
―本日は公演最終日というお忙しい中、取材に応じていただきありがとうございます。
高岡由侑:よろしくお願いします、木下大サーカスの高岡由侑(たかおか よしゆき)(34)です!
―出身地、熊本での公演に対する思いをお聞かせください!
高岡:所属して初めて、出身地である熊本で公演できました。サーカス団としては、「たくさんの人に愛と希望、夢と感動を届ける」という復興を目的とした公演でした。加えて、個人的には故郷への凱旋公演という思いが強く、より一層身の引き締まる思いでした。「自分が演技する事で、復興を支援できるのか?」という不安を感じる中で、お客様から「応援してるよ!」と何度も声をかけていただいたことが励みになりました。親や友人、学校の先生など身近な方々の応援や、何度も見に来て声をかけてくださる方の存在に支えられてきた2カ月半でした。
テレビをはじめとしたメディアからも連日取材され、地元の盛り上がりに貢献できていると実感できて、非常に嬉しい思いでした。出身地である芦北町役場からも足を運んでいただき、芦北町全世帯に配布するフリーペーパーに掲載していただきました。ひとひとつの出来事が強く印象に残っており、大切な公演になりました。
私はピエロの姿でハイタッチしながら、お客様に触れ合いました。握手を交わした際、握り返された手の力強さと、体温の厚さが今でも感じられるほどしっかりと残っています。
「公演を通して、熊本県民だと自覚できた」
―公演の期間中に、熊本に滞在して感じたことは?
高岡:街中にでかけることもあったのですが、テレビコマーシャルに私の姿も写っているので「あれ?あのピエロの・・・」と気付かれて声をかけられることもありました。それだけ注目を集め期待されていることが実感できて、モチベーションに繋がりました。
―有名人ですね!震災がから1年以上経ちましたが、当時ニュースを聞いてどう思われましたか?
高岡:これまで大地震なんて他人事だと思っていましたし、「まさか阿蘇大橋が落ちるなんて・・・」と衝撃を受けました。公演で全国各地を回りますが、故郷ということもあり、日本で1番好きな県です。当時を振り返ると、遠く離れている自分に後ろめたさを感じ、「自分が『熊本県民』だと堂々と言って良いのか?」と悩んでいました。だからこそ、この公演で、地元熊本に元気を与える一旦となり、堂々と「私も熊本県民だ」と胸を張れるようにしたいと心に決めて舞台に上がりました。
人生の岐路になった今公演「次の公演は復興した熊本で」
高岡:今回の熊本公演は自分にとって人生の岐路になりました。毎日全力を出し切り、少しでも熊本の笑顔に貢献できたと思っています。まだまだ、仮設住宅に入居されている方など元の生活に戻れない方もおり、大変な日々が続きますがが、熊本は必ず復興し、より発展を成し遂げると思います。そのパワーがある事をこの公演で感じました。次回の熊本公演では復興した熊本に帰ってきて、お互い発展して、今とは違った形で会いましょう!
まとめ
高岡由侑さんへのインタビューを通して、ふるさと熊本に、大きな思いを抱いて向き合ってきたのだと実感しました。インタビュー後、最後の公演も鑑賞し、独特の雰囲気の中で力強くユニークなパフォーマンスに感動しました。次の公演がいつになるかはわかりませんが、復興して元気いっぱいの熊本で開催していただきたいですね。熊本県民に笑顔と元気をありがとうございました!
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