熊本駅からこんにちは。
おてもやん、こんな目がガンギマリだったっけ?って困惑しつつもこんにちは。
今年も火の国祭りが中止となり、サンバおてもやんの笛の音が恋しくてたまりません。
しかし考えてみれば、あんだけ県民総出でおてもやんと踊り狂っているのに、おてもやんが誰なのかそもそも何をした人なのかが明確じゃないんですよね。
そこで今回、テレビのチカラを利用して
「英太郎のかたらんね。」を無理やり巻き込み、もっこすファイヤーのたくさんと一緒におてもやんとは結局何なのかを調べてみました。
「かたらんね。」のダイジェスト
おてもやんが何者なのか、そしてどのような人生を歩んできたのか等の情報は「かたらんね。」で放送されましたので、ここではどんな取材だったのかダイジェストでお伝えします。
まずは歌詞からどのような方であったのかを調べてみたいと思い
熊本市東区にある竹峰流(ちくほうりゅう)福島竹峰(ふくしまちくほう)さんにお話を伺いました。
歌詞だけで見たら、おてもやんは山を3つばかり超えたとこに好きな男がおるので、結婚せんやったんかなと思ったのですが、先生いわく1番の歌詞と2番の歌詞はリンクしている訳ではないのだそう。
いわゆるオムニバス形式。
すべておてもやんの事をうたっているわけではない、とのこと。
たくさんは「これ男として今後どんな気持ちでおてもやんを踊ればいいの…」と絶望してましたがね、熊本の女の強さをなめちゃいけません。
あとは作詞作曲をした永田稲(ながた いね)さんの遺品等がおさめられている五福まちづくり交流センターに行ったものの
コロナ禍なので中に入れず、というポンコツ具合。
専門外だけど何かしら力になれれば、と雨が降りしきる中お話をしてくださった毛利さん。おてもやんの履歴書なるものを作成しました。
たくさんは堂々と生年月日の漢字を間違っていましたが、かたくなに認めようとしません。のりをさんをこれほど恋しく思うことって他にない。
散々調査しまくった結果は以下の通りです。
- おてもやんは実在した。
- たまたま仲がよかった永田稲さんが、おてもやんをモデルにした「肥後甚句」を作り、それがお座敷歌として派生した。
…でも、それよりも気になったのは2件目の郷土史家である勇さんに聞いた「確か子孫ていうかお孫さんかな?が、宮崎県におる」というセリフ。
さて、どうしよう。
「かたらんね。」チームも本当は宮崎県まで出向いて子孫を探したかったんです。しかしこのコロナ禍。やすやすと大人数で県外に出向くわけにはいきません。
てことで
やってきました!!宮崎県。※取材はまん延防止等重点措置前に行っています。
テンション高くここまで来ましたが、手がかりといえば「どうやら宮崎県におるらしい」というふんわりとした情報。
無理だと誰もが思うでしょう。
しかしこれまでも足で情報をつかんできた肥後ジャーナル。分からないでくじけるわけにはいかないのです。
スタッフ一生懸命探しました。
宮崎市でも
川南町でも。
いや~宮崎県ほんといいとこ。食べ物が美味しいな!
宮崎グルメを堪能していると次は新富町で、ちゃんぽんタツヤというお店を発見。
ちゃんぽん屋さんなんですが、とりあえず1/2カツサンド(250円)を注文。
「はい、ハーフおまちどうさま」と渡されたのはこれ。
ハーフとは。
食パンはそっと乗せるだけ。が、スタイル。
サイズはペットボトルと大体同じ。ソースは表面はカレー味、パンの部分はソースとマヨネーズ。あとキャベツ入ってました。
まさに肥後ジャーナル的な店。
感じましたよね。
「よし、多分このあたりに子孫おらすな」って。
この看板ご覧ください。呼ばれている感すごい。
さらに車を市街地に進めていくと
はいキタ。御船。もうここ熊本。絶対この町(高鍋町)におらすわ!!
高鍋町役場の人大奮闘
役場の人ならなんか知っているんじゃね?という勘で、やってきました。
「おてもやんの子孫を探しております」
「おてもやん?」
職員さん全員を謎に巻き込むという暴挙に出ましたが、唯一ヒントで得ていた苗字をお伝えしたところ、高鍋町にその苗字は1人しか該当しないとのこと。
「住所を教えて頂けますか?取材行きたい」
「いやさすがに本人の許諾なしで教えるわけには」
※庁舎内は撮影NGだったのでイメージでお楽しみください。
職員さんが子孫であろう方に電話で、企画趣旨および撮影許可の相談をしてくれました。
「肥後ジャーナルさんお待たせしました~」
「どうでした?」
「結論から申し上げますとダメでした」
自宅をおてもやん資料館にしている訳でもなく、ごくごく普通の一般のご家庭なんです。コロナ禍であること、そして何よりも穏やかな生活を守りたい。それらを鑑みて取材をお受けするのは難しい、という回答でした。
この日は大人しく帰熊することに。
しかしはるばる宮崎県まで行って、可能性ある人見つけて「そうですか」じゃ終われません。
熊本に帰った後も高鍋町職員さんも一緒に「この方法なら?」等の提案、交渉を連日、幾度となく行ってくれましたが結果は覆らず。
「じゃ一言だけご確認いただけますか?○○さんはおてもやんの子孫である、このことはお間違いないでしょうか」
「はい、そこは間違いないそうです」
ありがとうございます!!!!
結論 高鍋町はいいところ
初見の、しかも他県のメディアがアポなしで伺っただけなのに、数日にわたり懸命に交渉してくださり事実まで引き出してくれたのは、間違いなく高鍋町役場の方のご尽力です。ありがとうございました。
なんのお礼もできませんが、せめて高鍋町のいいところをPRしてもらいましょう。
「え?いいとこ?名産とかですか?あ~…餃子ですかね」
「普通の餃子と比較して大きいとか小さいとかですか?」
「いや普通の餃子ですわ」
「材料であるキャベツとかニラが名産とか?」
「いや、なんでか高鍋町は餃子なんですわ」
理由なんて聞く方が野暮でした。コロナ禍が落ち着いたらみんな高鍋町に餃子食べに行きましょうね!現場からは以上でした!
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