歴史から学ぶ。「七本官軍基地」で整然と並んだ姿に思いを馳せる。
公開日: 2020.09.28
ライター:ひらの熊本市北区植木町轟にある、田原坂の戦い「七本官軍墓地」。
ただただ整然と並んだお墓の姿に圧倒され、そう遠くはない過去の歴史に思いを馳せてきました。
西南戦争の傷跡
1877年、明治10年。日本国で最後の内戦。
祖母の家で着物を着て座っていた曾祖母が明治生まれだったので、すごく近く感じます。そんなはずも、ないのですが…。(西南戦争 1877年1月29日から1877年9月24日まで。)
田原坂で西南戦争があった、という事実は知っているものの、なんだか怖い場所という印象ばかりが先に立ちなかなか足を運べずにいました。
秋のお昼、心地よい風が吹きとても静かです。
七本とは地名。
官軍墓地と藩軍墓地があるようですが、この日は官軍墓地へ行ってみました。官軍とは日本においては天皇及び朝廷に属する軍の事を言います。
田原坂が見えます。とても静かでのどかな光景です。悲惨な争いがあったとはとても思えない景色を見てすぅっと深呼吸をします。
「故郷より背負い来りて之を植ゆ」 と書いてあります。出兵とき、故郷からこの松を背負って植えたという事。とても立派で美しい松でした。
横から見た所。今もきちんと手入れがされています。
墓碑が物語るもの
そして整然と並んだ墓碑。
墓碑には、階級、氏名、所属部隊、戦死した日、場所及び出生地などが刻まれております。(案内板より)
ずらりと、そして整然と並んだその光景に胸を撃たれます。
西南戦争で戦死した政府軍人、軍夫、警視隊を埋葬した官軍墓地は熊本県内にほかにも21カ所もあるそうです。
この七本官軍墓地には植木、滴水及び木留などで戦死した東京、大阪、名古屋、広島、熊本鎮台の兵士300名余りが埋葬されています。階級などによって墓石の大きさに違いがあるようです。(鎮台とは地方を守るために駐在する軍隊のこと)
大きな木が墓石を見守っているようでした。実際にはこの木の下に遺体が埋められたといわれています。
こちらにも。二本の木の下に遺体が埋葬されたということで、木を見上げます。
光を浴び、高く高く伸びています。木は、ここに眠る魂は、今のこの世界をどう思っているのでしょうか。シャッターを切りながらとても切ない気持ちになります。
平和を願う
田原坂公園は有名ですが、ひっそりとこんな場所があるなんて知りませんでした。時間があれば気候の良い日に一度足を運んでみてください。(雨の日は足元が汚れるかと思います)
綺麗なお花が供えてあり、手入れされておりました。定期的に人が訪れていることがうかがえます。
戦争なんて嫌だと思うのは当たり前ですが、こんな風に亡くなっていった人々がいる歴史があるのだという事を「この目でしっかり見る」ことも大切だなと思い、ゆっくりしっかり手を合わせました。
*近くに民家もあります。大声で騒がない、体調の悪い日は行かない、など何卒配慮をお願いいたします。
七本官軍墓地
住所 | 熊本市北区植木町轟 |
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駐車場 | 広い駐車場あり |
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