目次
あの悲劇から365日
1年前の今日 見慣れていた熊本の光景が・・・一生忘れません。
住宅は倒壊し、橋は崩れ落ち、道路は陥没。ありとあらゆるライフラインが停止しました。
住居もない状況なので、もちろん仕事を再開できない方や、職場を失った方も大勢います。
今日であの時から1年が経つ。熊本市内を移動していると
以前に比べ生活インフラは、少しづつですが復旧が進んでいるように見えます。
しかし益城町や南阿蘇など一部被害が大きかった地域では解体が済んでいない家が残っており、通れない道路もまだたくさんあります。
狭い仮設住宅で不自由な避難生活を強いられている人もいます。私は、今までボランティア団体の手伝いなどを行ってきたのですが、口を揃えて皆さん言われるのが「温度差がひどい」これは私自身も感じることが多々あります。
今一度振り返り、「電気がつく」「水が出る」「お店に入れば当たり前のようにご飯が出てくる」「スーパーに行けば当たり前のように食べ物が販売されている」これがどれだけありがたいことなのか今一度思い出して下さい。
信号機が壊れ、道路がパニックに
4月16日時点で営業中の飲食店
つけ麺おんのじ近見店 営業中
大勝軒 営業中
黒田藩平成店 営業中
餃子の王将下通 営業中
一連 営業中
大黒 営業中
白木屋 営業中
北熊 池田店 営業中
まるいち食堂 営業中
すし鮮 営業中
黄金ラーメン 営業中
人参ハウス 営業中
今となってはたくさんの飲食店が営業していますが
この当時開店している飲食店やスーパーはほとんどなく、食事をまともに食べることでさえ困難な状況でした。
食べ物残さず食べていますか?
思い出してください。今から一年前は食べ物を当たり前に食べられることに感謝していた人がほとんどだと思います。
食べ物を求めコンビニ並ぶ大勢の人
4月18日下通りで唯一営業していた肥後大勝軒
水が使えないため限られたメニューでしたが
お金を払えば食べ物が食べられることが当たり前ではないことを痛感しました。
4月17日時点の炊き出し情報
もちろんですが炊き出しもただではありません。食材を購入するための費用が最低限かかります。
炊き出しをしてくれていた飲食店のオーナーさんの中には、
お店のコップやお皿が割れたり、ビルの解体が決まってしまった店舗など
お店のことだけでも大変なのに炊き出しに回ってくれていました。
炊き出しで食べた
ワカメがたくさん入った味噌汁の味は一生忘れません。
お風呂に3日間入れなかったのは本当に辛かった。
家で当たり前に入っていたお風呂
毎日入るのが当たり前だと思っていました。
しかしお風呂に入れなくなり、身体がベタつき寝ても疲れが取れない。
営業が再開した温泉に行くも、人が多すぎて疲れてしまう。
美容室の方に、温かいシャワーを浴びる方法を教えていただきました。
1人でも多くの方が身体がキレイになってほしいと思い記事にしました。
営業が再開し始める
他にも肥後ジャーナルでは営業再開の記事を書いていきました。
今となってはたくさんのお店が営業を再開していますが、日頃利用していたお店が閉店しているというのはどこか心寂しかったです。
月日が経つにつれ少しづつお店が再開。
いつも入っていたお店での買い物、レジの人とのちょっとした会話
全てが嬉しかった・・・
まとめ
あの悲劇から1年が経過しているなんて
月日が経つのは早いのか、遅いのか・・・全くわかりません。
肥後ジャーナルでは震災直後
現状をまとめいち早く記事として情報を発信してきました。
その中でたくさんの感謝の声が届くと同時に中傷もたくさん寄せられました。
しかし、肥後ジャーナルでの情報発信続けました。配信を楽しみにしてくださる方のために。
私自身も収入がなくなり
生活ができなくなったのでしばらくは解体のお手伝いをしていました。
頑張らなくてもいいと思います。
自分のペースで共に前に進んでいきましょう。
当時は2人で活動していた肥後ジャーナルも、メンバーが増えました。
熊本地震では人の温もりについて学ぶことができました。
記事シェア