くまもと散歩・八代編その2!八代に皇族と織田信長のお墓があった!!
公開日: 2018.02.01
ライター:肥後ジャーナルライター「私の母校は織田信長のお墓がある」と八代市在住の方から聞きました。
織田信長といえば、類まれなるカリスマ性で天下統一を果たした戦国時代のスーパースターです。
その話がきっかけとなり、早速織田信長のお墓を案内してもらうことにしました。
お墓の場所は中学校
案内されたのは八代市立第一中学校です。
意外なことに、織田信長の墓はこの中学校の敷地内にあるそうです。
恐る恐るグラウンドのすぐ側にある敷地に入っていくと・・・
織田信長を供養する五輪塔を発見!!
一角に、塀に囲まれた石碑のような場所を見つけました。
近づいてみると、「織田信長―五輪塔」と書いてあります!塔の銘文には『織田将軍去遊四十九歳、天正十年六月二日』『寛永十年六月三日』『細川参議敬建』と書いてありました。
説明書きを見ると細川幽斎(細川忠興)菩提所の泰勝院跡だそうで、家臣だった細川忠興が織田信長の菩提を弔うため立てたのが五輪の塔。
何故、織田信長のお墓が八代にあるのかと案内してくれた地元の方に聞いてみると、
「織田信長は、本能寺で自ら火を放ち、自害した事になっているよね。その後、織田信長の遺体は見つかっていないから、縁のある所にお墓があるんだよ」
と教えてくれました。
「熊本は細川藩主と妻であるガラシャの縁談を信長が薦めたこともあり公私に渡って信長の影響を強く受けた土地だったから、亡くなった時に建てたんだろうね」と説明を受けました。
その後、「八代には『後醍醐天皇の皇子』のお墓がある所もあるよ。行ってみる?」と聞き、足を運んでみることにしました。
※学校敷地内につき、見学のご希望は学校にご連絡ください。(第一中学校:0965-32-7103)
次は後醍醐天皇の皇子「征西大将軍懐良親王」のお墓へ
「ここだよ」と案内してもらった場所は八代市妙見町。妙見宮の近くにある悟真寺の下に後醍醐天皇の皇子「征西大将軍懐良親王」のお墓があります。
入口の前に車を停め、敷地内へ入ります。
宮内庁の掲げた看板から、本当に皇族の墓所であることが伺えます。
中に見える小円墳が征西大将軍懐良親王のお墓です。
懐良親王は、後醍醐天皇の皇子として征西大将軍となり、九州における南朝方の中心人物として活躍した方です。
お墓を丁寧にお参りしてこの地を後にします。
まとめ
まさか熊本県八代市に、教科書で学んだ織田信長や天皇家のお墓があるとは思いませんでした。
歴史好きなら特におススメですが皆さまも是非、八代市で歴史散策されてみてください。
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