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とじる
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牛深ハイヤの一節に

「エーサ 牛深三度行きゃ三度裸 鍋釜売っても酒盛りゃしてこい 戻りにゃ本土瀬戸徒歩わたり」

このような謳い文句があります。

これを現代語訳すると

「牛深に三回行けば、三回ともお金を使い果たしてスッカラカンの丸裸。鍋や釜を売り払ってでも金を作って、酒盛りをしてこい。帰りは金がないから本渡瀬戸を歩いて渡って帰る」

3回行って3回とも全財産を使い果たすほどの魅力が詰まった場所である、という当時の様子を表した一節なのでしょう。

今回は、牛深にある県内で唯一現存する遊郭「三浦屋」に行ってきました。


熊本でありながら熊本ではないような南国情緒あふれる町

「その当時の姿形を残している遊郭がある」と聞きやってきたのは天草市牛深。

同じ熊本でありながらも、どこか沖縄の空気に近しい感じ。

どこまでも通り抜ける南風が1月にも関わらずとても優しく暖かい。地元の方も、港町特有の明るさを持ち合わせていました。

せっかくならば外から建物をみるだけではなく当時の様子なども知りたい、と牛深支所に相談したところ「そういうことならば」と、ご紹介いただいたのは牛深カメラの吉川茂文さん。

自営でカメラ屋さんをする傍ら、牛深歴史文化継承の会に所属され、牛深の文化歴史にとても詳しい方なんです。

早速、当時の様子から教えていただきました。

資料によると牛深で遊郭が始まったのは、おおよそ大正の初めのころとして記録が残っていますが、明治40年に発表された紀行文「五足の靴」には牛深の遊郭の様子が記されていたのでそれよりも前だったのではないかと推測されます。

「当時はどんな様子だったのでしょうか」

「当時はですね「ホシカ(干したイワシ)」が牛深の名産でしてね。ホシカは農作物の肥料として重宝されよったんです、それを俵に積んで大阪や四国などに運んでいたのでそれは毎日大きな船やらなんやで賑わっていました」

現在の様子

「ただこの辺は潮の流れが速くて、一度で通れなかったんですよ。近くの黒島で一時停泊せなんならんかった。そこで、せっかく宿泊するならいっちょ遊んでいこうかねってなったんでしょう」

当時、春を売る女性たちは何も遊郭の遊女だけではありません。一般の女性も「私娼」として自宅に招き入れていたんだそう。

現在の感覚では自宅に連れ込むって何事!?ってなりますが、当時は生きていくことが最重要課題なんですから、そこに現代の倫理観で考えること自体ナンセンス。サービスの対価として当時流通していた新銀(しんぎん)を受け取っていたので、そのような女性たちを「新銀取り(しんぎんとり)」と呼んでいたんだそう。

「新銀取りさんは地元熊本の方が多かったんですか?」

「いや、県外の方が多かったみたい」

遊郭で働く女性の当時のお写真を見せて頂きましたが、なんと仮装大会の様子の写真。女横綱の衣装を身にまとい、とても楽しそうに笑っていたのがとても印象的でした。

「比較するのもおかしいかもしれませんが、以前二本木遊郭で見せてもらったお写真の表情とあまりにも違うことで驚いてしまいます」

知っておきたい熊本の話。二本木遊郭の誕生から生活の様子まで調べてみました。

「そうですねー…本人の心は本人にしかわかりませんが、このようなイベントがよくあってたみたいですよ」

それでは三浦屋に行ってみよう!

当時の様子がなんとなく想像できるようになったところで、早速、現存する三浦屋さんに行ってみましょう!

小道にあるスナック街を抜けた先にあるとのこと。少し歩いてみました。

電柱も「遊郭」って書いてある。

見えてきました。これが県内で唯一現存する遊郭「三浦屋」です。

鑑札もいまだ健在。手入れがしっかりとされているのでしょう、とても空き家とは思えないほどの美邸。

赤レンガだってもちろん当時そのもののまま。なんだかこの細道にノスタルジーを感じてしまいます。

裏側から回った方が建物がよく見えるとのことだったので、一緒に裏側に向かうと

井戸が。

この井戸は「五足の靴」にも出てきたんですって。もう使われてはいないとのことでしたが、こんなに大きな井戸、初めてみたかもしれません。

これが裏側からみた三浦屋。

「見てわかるように今でも崩れそうでしょ」

「そうですね…屋根がなんだか」

「これを修理するために前、調査に入ったんですよ」

調査の結果、修繕にはなんと1億円かかる見込みなんだとか。とてもそんな金額誰も負担なんてできませんから、とりあえずそのまんまになっているんだそう。

「中にも入れるんでしょうか?」

「残念ながら底が抜けてしまってですね…危なくてとても。以前調査に入ったときの写真でよければ」

こちらが1階の部分。

階段をあがって2階部分。なんだか想像よりも近代的な造りにも見えるような。

しかしよく考えてみれば明治時代の話ですもんね。今とそんなに大きく変わることもないのかもしれません。

「とめてくださるな、おっかさん」

「これはあれよ。三浦屋がなくなったあとに賃貸に出とったそん時に、住んでた方の子供が受験だったんでしょ」

まさかの遊郭に入試対策。

なかなかの衝撃でしたが、三浦屋が現存しているのも、お店がなくなったあとも賃貸で貸出し常に人の手入れがあったから。家は人がいなくなると途端に痛みだすので、現在まで姿かたちを保っているのも牛深の方の生活の中に溶け込み、活用されていたことが功を奏したのでしょう。

まとめ

お話を伺った牛深カメラさんの裏は海。

それは地図で見せてもらったときと、ほぼ姿かたちを変えずに残っている光景でした。

対岸にあるこの石垣は、江戸時代に作られたもの。まだ残っていることに驚きです。

この風景を大事にせなんですねとポツリと語っておられた姿が印象的でした。

日帰りできたことを後悔するほど、かなり後ろ髪をひかれながら牛深を後にしました。

まさに

「エーサ 牛深三度行きゃ三度裸 鍋釜売っても酒盛りゃしてこい 戻りにゃ本土瀬戸徒歩わたり」

の心境。本当にいいところ。

また牛深ハイヤの時期にお邪魔しようかな。今回、取材にご協力いただいた吉川さん、牛深支所の皆さま。温かく受け入れてくださってありがとうございました。きっとまた来ます。

ライター紹介

ムトー

ムトー

肥後ジャーナル編集長。 「人はなんで痩せなきゃいけないのかな」という思考にまで達したのでもうきっと痩せません。 気にしません。

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