熊本県玉名郡南関町にある「南関城跡」。
別名「鷹ノ原城跡」とも呼ばれるこの場所には、かつて大きな城がありました。
現在は木々に覆われ、静かな時間が流れています。
今回は、そんな南関城跡を訪ねてみました。
駐車場までの注意点
南関城跡に行くには「南関御茶屋跡 南関城 官軍墓地駐車場」へ、
ナビ通りに行けば迷うことはありません。
ですが、そこまでの道がとっても狭いんです。

駐車場に向かう際の道。
ここからどんどん狭くなります。
今回は軽自動車で訪れましたが、それでも運転には注意が必要です。
車で訪れる際は、道幅に気をつけてくださいね。
加藤清正の時代に築かれた南関城跡

南関城は、加藤清正の家臣・加藤正次が築城に関わり、その子・正長も城代を務めたとされています。
熊本城を守る支城の一つとして、重要な役割を担っていた南関城。
しかし、城としての役割を終える日は、そう遠くありませんでした。
1615年(元和元年)、江戸幕府が「一国一城令」を出します。
これは、大名が領内に持つ城を原則として一つに制限する決まりで、
大名の力を抑え、幕府の支配を安定させる狙いがありました。
この決まりによって、南関城も廃城となりました。
1600年ごろに築城が始まったとすると、城として使われたのは、わずか15年ほどだったことになります。
儚いなぁ。

到着。
階段を上がって丘を目指します。


10月ですが整備はされているものの、虫などは多め。

なかなかいい運動になる階段が続きます。

東屋あり。
とても静かで、鳥の声が響いておりました。

そして「城ノ原官軍墓地」に到着したら、

墓地の向こう側が、城跡がしっかりと見られる風景になります。
城を壊した跡も残っている

案内板によると、平成7年度の調査では、
大量の瓦や鯱瓦が見つかり、瓦葺きの建物があったことがわかりました。
さらに、平成11年には、本丸西側の斜面から、高さ約7メートル、21段の石垣が発見されています。

実際に歩いてみると、石垣や段状になった地形が目に入ります。
そして、興味深いのが、城を壊した跡も見つかっていること。
案内板には、壊した石垣の石を空堀の底に敷き詰め、
その上から土をかぶせて隠していたと書かれています。

城は、ただ使われなくなったのではありませんでした。
一国一城令によって廃城となり、石垣まで壊されていたのです。

かつて大きな城が築かれ、それが壊されたという出来事。
今、目の前にある石垣にも、そんな歴史が刻まれているのだと思うと、見え方が変わってきます。
南関城にまつわる「がめん首」の伝承
そして、この南関城の廃城にまつわる伝承が残されている場所があります。
以前ご紹介した、南関町関下にある「がめん首」です。

伝承によると、南関城がなくなったことに責任を感じ、切腹した人物がいたといいます。

その人物が誰だったのか、史実として確認できる資料は見つかっていません。
南関城が廃城になったのは、一国一城令という幕府の政策によるもの。
そして、その出来事をめぐる物語が、今も「がめん首」に伝えられているのです。
城跡を歩いたあとで、この伝承を思い返すと、また違った感慨が湧いてきます。
何もなかったかのように、風が吹く
現在の南関城跡は、緑に覆われています。
残された石垣や地形を眺めながら、かつてここにあった城の姿を頭の中で思い描いてみました。
ここに城があり、人々が行き交い、この場所を守っていた時代があった。
そう考えると、まるでタイムスリップしたかのような気持ちになり、胸にぐっとくるものがありました。
当時の姿が再現されているわけではないからこそ、想像が膨らみます。
本当に大きな城があり、城がなくなるという出来事もあったのに、
今は何もなかったかのように風が吹き、鳥の鳴き声が響いていることに切なさを覚えます。
私たちが何気なく過ごしている日々も、こうして確実に過去へと変わっていくのだと感じさせてくれます。

なお、南関城跡近くには、パフェのメニューの数がものすごいレストラン「レストラン松風」があります。
「お腹いっぱいになりすぎた!」という時は、「南関城跡」を散策してみてはいかがでしょうか?
南関城跡
| 住所 | 玉名郡南関町関町 |
|---|---|
| 駐車場 | あり |
ライター紹介
ヒゴナルマッチングとは、肥後ジャーナルの媒体を活かして、熊本で自分に合う仕事を探している求職者と求人活動をしている企業の情報をそれぞれ集め、お互いに明確なメリットがあるお仕事探しができる人材情報サービスです。





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