明治10年(1877年)に起きた西南戦争。
熊本県玉名郡南関町には、当時の歴史を今に伝える「城ノ原(じょうのはる)官軍墓地」が残されています。
ここに眠るのは、木葉(現在の玉東町)や高瀬(現在の玉名市)方面の戦闘で亡くなった政府軍の将兵77人。
以前ご紹介した正勝寺をはじめ、
南関町には西南戦争にまつわる史跡が残されています。
今回は、南関城跡を歩くなかで出会った、城ノ原官軍墓地をご紹介します。
城跡を歩いていると、思いがけない場所に
以前記事にした
南関城跡(鷹ノ原城跡)を歩いていると、

このように「官軍墓地」の案内が現れます。

目に入ったのは、木々に囲まれた墓地でした。
ここは、かつて本丸があった場所。

その一角に、西南戦争で命を落とした政府軍の将兵たちが眠っています。

訪れたとき、人の姿はありませんでした。
聞こえてくるのは鳥の声だけ。
それでも、墓石の周囲には手入れされている様子がうかがえました。
城跡の中に、墓地が残されていることが、どこか不思議に感じられます。
77人の将兵が眠る墓地

城ノ原官軍墓地は、熊本県指定史跡です。
昭和52年(1977年)10月11日に指定されました。

現地の案内板によると、ここに葬られているのは、西南戦争で薩摩軍と戦い、命を落とした政府軍の将兵77人です。
主に、木葉や高瀬方面の戦闘で亡くなった人たちだといいます。

戦争当時、現在の南関町にあたる関村にあった「西宗寺」(さいしゅうじ)という場所が野戦病院となっていました。
亡くなった将兵は、まず西宗寺の境内に仮埋葬され、
その後、明治11年(1878年)に現在の場所へ本葬されたと案内板に記されています。
本葬から150年近く経とうとしていますが、
今もなお、墓地には当時の戦争の記憶と記録が残されています。
墓石に刻まれた、一人ひとりの記録

整然と並ぶ墓石を見ていくと、大きさが異なることに気づきます。

墓石には、階級や氏名、亡くなった経緯、所属部隊、出身地などが刻まれています。
ここに眠るのは、単なる77人という数字ではありません。
一人ひとりに名前があり、故郷があり、それぞれの人生があったはずです。

墓石に残された記録をたどると、戦争によって命を落とした人たちの存在が、より身近に感じられます。
墓地の先に残る石垣跡

墓地を通り過ぎてさらに進むと、石垣跡が現れます。

墓地と石垣跡。
残されているものは違いますが、どちらも人々が過ごした痕跡です。
城を築き、守ろうとした人たち。
そして、時代が移り、西南戦争で命を落とした将兵たち。

それぞれの時代に、ここで人々が何を思い、どのように生きていたのか。
今、残されたものから、そのすべてを知ることはできません。
それでも、墓石や石垣跡は、ここに人々が生きた時間があったことを伝えています。
忘れてはいけない歴史
現在は、鳥の声が聞こえる静かな場所。

大きな木に見守られるようにして並ぶ墓石。

城ノ原官軍墓地に眠る77人がいたこと。
そして、戦争によって命が失われたことを、忘れてはいけないと思いました。
今も残る史跡を訪れることは、かつてここで生きた人たちの存在を知り、
平和について考えるきっかけにもなるのではないでしょうか。
七本官軍墓地についても紹介しています。
城ノ原官軍墓地
| 住所 | 玉名郡南関町 |
|---|---|
| 駐車場 | あり 駐車場は南関城跡と共用です。 ただし、駐車場までの道は非常に狭く、大きな車でのアクセスは難しいため、軽自動車など小さな車で訪れることをおすすめします。 |
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