豊前街道のすぐそばにある、静かな「宥明公園(ゆうめい)」を歩いてみました。

山鹿の豊前街道を歩いていると、この日も駐車場にはたくさんの車が。

この駐車場から少し離れたところに、ひっそりとした公園を見つけました。
山鹿市老人福祉センターの入り口にある宥明公園です。
いったい、ここにはどんな歴史があるのでしょうか。
まず目に入った「孝子孫次郎之碑」

公園へ入ると、まず目に入ったのが「孝子孫次郎之碑」(こうし まごじろう の ひ)です。
孫次郎は、江戸時代に山鹿市上町で暮らしていた鍛冶工で、とても親孝行な人物だったと伝えられています。

お母さんが温泉を好んだため、毎日のように背負って温泉へ連れて行き、入浴させていたそうです。
その孝行ぶりが藩主・細川綱利の耳に入り、
孝子(こうし)※親を大切にし、よく尽くす子どもという意味
として褒賞を受けたとされています。
今では「親孝行をしたから褒美をもらう」なんて、なかなか考えられません。

それだけ昔は、親孝行が大切な行いとして考えられていたのだと、
少し不思議であたたかな気持ちになりました。
みなさんのまわりにも、「親孝行だな」と思う人はいますか?
ちなみに、孫次郎の碑はさくら湯にもあります。
「西上町 共同井戸跡」も

少し歩くと、「西上町 共同井戸跡」という案内板も見つけました。
今では当たり前のように水道がありますが、
昔の人々にとって井戸は、暮らしを支える大切な場所だったのでしょう。
こうした小さな痕跡が残っているのも、歩いていて面白いところです。
11体の石仏、そのうち6体が「六地蔵」

さらに進むと、たくさんの石仏が祀られた御地蔵堂がありました。
こちらには11体の石仏が祀られており、そのうち向かって右側の6体が六地蔵とされています。
六地蔵は、六道のそれぞれで人々を救う地蔵菩薩を表したものです。

それぞれ少しずつ違った姿をしています。

どのお地蔵さんにも丁寧に前掛けがつけられていて、
今も大切にされていることが伝わってきます。
温泉をよみがえらせたと伝わる「宥明法師(ゆうめいほうし)」
石仏の周辺には、ほかにも古い石造物が残っています。

山鹿温泉には、ちょっと気になる話が残っています。
今から500年以上前の1473年、山鹿の温泉が突然出なくなったことがあったそうです。
そのとき、温泉をなんとか復活させようと祈ったのが、金剛乗寺の住職だった宥明法師です。
薬師堂を建て、温泉が戻るように祈り続けたところ、その年の12月20日に、再び温泉が湧き出したと伝えられています。
しかも、以前よりも勢いよく湧き出したのだという伝承があります。
500年以上も前の人が、山鹿の温泉を取り戻そうと祈り続けていた。
そう思うと、今も当たり前のように温泉が湧いていることが、ありがたく感じられますね。
温泉をよみがえらせたと伝わる宥明法師。
そして、母親を温泉へ連れて行った孫次郎。
そう考えると、この小さな公園に残された石造物が、山鹿温泉の歴史ともつながっていることに気づきます。
西南戦争の記憶も残る

そして、この場所には「西南戦争 山鹿官軍墓地」があります。


ここには、山鹿口の戦いで戦死した政府軍兵士153人が埋葬されています。

官軍墓地は、戦闘があった場所の近くに設けられたものです。

現在は静かな場所ですが、かつてこの周辺で戦いがあり、
多くの人が命を落としたことを伝えています。

にぎやかな豊前街道から、少しだけ寄り道
豊前街道のにぎわいとはうらはらに、ここはひっそりとしていて、とても静かです。
ひんやりとした風が入ってきますが、じめっとしていません。
なんだか空気まで少し違うような、落ち着いた場所でした。
豊前街道沿いには、以前、肥後ジャーナルでも紹介したmetro guesthouse&cafeもあります。
カフェでひと休みしたり、豊前街道を散策したりしたついでに、少し足を延ばしてみるのもよさそうです。
一見すると小さな公園ですが、歩いてみると、親孝行の孫次郎、山鹿温泉をめぐる宥明法師、
丁寧に前掛けをつけてもらったお地蔵さん、そして西南戦争の記憶。
いくつもの時代の物語が、静かに残されていました。
こういう場所を歩いて、思いがけず歴史を見つけるのも、山鹿の楽しさのひとつかもしれません。
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