よく道路沿いにお地蔵さんってよく見ません?この前、見かけたお地蔵さんをよく見てみると「放牛石仏」と書かれているものがありました。しかも私が最初に見つけたものには「八十八体目」と書いてあり、一体何体あるんだろうと調べてみると100体以上あるそうで、その謎を調べつつ、他の石仏を探してみました!
謎の石仏「放牛石仏」
先日、取材中に迷子になったとき、謎のお地蔵さんを見つけました。
「放牛石仏 八十八体目」と書かれていました。88体目……結構多くない?と思って調べてみると、
実はわかっているだけで100体以上、熊本市を中心に県内各地にあるそうです。
誰が、一体なんのために…、他の石仏を探しつつこの「放牛石仏」の謎に迫ってみました。
1体目を旧浜線近く 田迎小学校前に発見
まずは1体目を見つければ謎に迫れるだろうと思い探したところ、田迎小学校前にあると聞きやってきました。
確かにお地蔵さん、いますね。早速見てみましょう。
こちらが「放牛石仏 一体目」です。
最初に作られたものだからか、かなり摩耗して表情は伺い知れません。
近所の方に聞いてみましたが、この場に建立された理由は不明。
隣には近隣の方が設置したという石碑がありました。難しいことが書いてあるので要約すると
・「放牛」という高僧が農民や町民から寄付を募って11年間で100体以上の石仏を建立
・当時、飢餓や洪水が多く市民の生活が困窮していて精神的な救済が目的
・放牛の墓は横手にある
なるほどなるほど…、お墓も後ほど行くとして、他の石仏も見てみたいですね。
春日に48体目と58体目が並んでた
春日の坪井川近くの道端に48体目と58体目が並んでいました。
他にもお地蔵さんが並んでいますが、真ん中の2体が放牛石仏。
しかし謎はいまいち解けません。
100体目で謎が解ける
100体目を求めて訪れたのは西区池田にある「往生院」。ここに100体目の「放牛石仏」があるそうです。
奥に進んでいくとなんかデカイの石像が見えてきました。
なんかラスボス感あふれる石仏が立っていました。
中央の巨大な石仏がが100体目の放牛石仏。186cmあるそうです。私の身長と同じなんですが、台座に乗っているのでより大きく見えます。
ここの看板には、放牛が石仏を作るに至った詳しい経緯が記載されていました。要約は得意です。任せてください。
・約300年前、貧しい鍛冶屋の親子がいた。
・父ちゃんは酒好きで、息子は孝行息子で商いを頑張ったけど、ある日売上がなく父に酒を買って帰れなかった。
・酒がないことを知った父ちゃんは火吹き竹を息子に投げつけた。外を歩いてた武士の眉間に当たった。
・父ちゃんは武士に斬り殺された。
・自分のせいで父ちゃんが死んだのだと息子は出家して「放牛」を名乗り、父の冥福を祈って100体の石仏を掘ることにした。
……。
……まぁ、解釈は人それぞれですが、とにかく放牛は真面目で父親思いの方だったようです。
100体の石仏を祀ることで、父の冥福を祈った放牛。彼にとって、この100体目は満願成就の1体。ゆえにこの大きさで作り込まれたのかも知れません。
祀られている往生院の副住職に話を聞きましたが、以前は敷地中央にお堂があり平成の初期にこの屋外に移動。他の石仏も寄付があり今の形なったそう。この場所に設置された経緯については、長い歴史の中で火災などの要因により記録がないそうです。
最後に放牛上人の墓を訪問
1体目の隣にあった石碑に、横手に放牛の墓があると記されていたのを思い出し、現地にやってきました。
まったく見つけることができず、近所の方に一緒に探してもらいました。めちゃくちゃありがたい。
千原台高校の前から入っていき、この階段を登った先に放牛の墓がありました。
お墓が並ぶ中、この看板を見つけ、更に進んでいくと…
お墓が立ち並ぶ中に、石仏。こちらが放牛のお墓だそうです。
特に石碑等はありませんでしたが、しっかりどなたかが足を運ばれているようでした。
阿蘇や宇土にもあるらしい
この放牛石仏、今回は熊本市を回りましたが、阿蘇や嘉島町、山鹿や山都町などなど県内各地に祀られているそうです。
台座にお経や歌が刻まれているものなど特徴があるものも。中には長い歴史の中で所在が分からないものや台座のみ残っているものもあるそうです。番号は107まで確認されていて、無番号のものも8体あるそう。
なんであれ当時、この数の石仏を掘って県内各地に奉納するのは簡単なことではありません。
みなさんも放牛石仏を探してみてくださいね。
記事シェア