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今年は9月13日~17日!藤崎宮例大祭について、神職の方に歴史を聞いてみた!

ライター:山田 山田

熊本の秋の風物詩、藤崎八旛宮の例大祭。毎年9月の中頃になると、熊本市中心部を神輿や飾り馬が練り歩く姿が特徴的な熊本を代表する神事です。今年も9月13日から始まり、16日の神幸式では、随兵行列や飾り馬の奉納で地域一帯が賑わいます。1000年以上の歴史がある由緒正しき祭事ですが、正直なところ、これまで詳しいことを何も知らずに、お祭り騒ぎをしたいだけで参加していました。藤崎八旛宮の権禰宜(ごんねぎ)藤岡さんに「そもそも秋の例大祭って何?」っというお話を聞いてきました。


藤崎八旛宮に訪問!例大祭って何?

こんにちは、肥後ジャーナルライターの山田です。

もうすぐ開催される藤崎八旛宮の例大祭は、熊本でも指折りの歴史あるお祭り。

毎年開催されるこのお祭り、県外出身の私は、特に意味を知らずに遊びにいってたので、なんでこんなに大騒ぎしているのかよくわかっていませんでした…。

わからなければ、直接聞くのが一番です!!

ということで、熊本市中央区井川淵町にある藤崎八旛宮にやってきました。

1000年以上の歴史!創建から続く「藤崎八旛宮例大祭」

今回お話を聞いたのは、藤崎八旛宮の権禰宜・藤岡さんです。

お忙しいところお時間ありがとうございます!さっそくですが、藤崎宮の秋の例大祭について、くわしくお伺いしたいです!
お恥ずかしい話、「なんかすごい神社のお祭り」くらいの認識しかなくて……。そもそも例大祭ってなんなのでしょう?

若い方が関心を持ってくださるだけで嬉しいですよ。
例大祭ですが、神社には由緒ある日に毎年開催している「例祭」と呼ばれる神事があるんです。その中で、大きなものを「大祭」と呼んでいます。秋の例大祭以外にも、「藤祭り」や「新嘗祭(にいなめさい)」などがあります。創建当初から続く神事で藤崎八旛宮では1000年以上の歴史があるんですよ。

1000年以上も!例大祭は、よく加藤清正が起源だと聞くのですが、それよりずっと昔からあるんですね。

加藤清正も随兵(ずいびょう)に加わっていたそうですが、それよりずっと前から続く長い歴史があります。熊本の偉人ですので、県民のみなさんに与える印象も強いんでしょうね。

そもそも、随兵ってなんですか?あの人がずらーっと練り歩いているやつですよね??

執り行う儀式のひとつに御神幸(ごしんこう)というものがあります。御神体を乗せた神輿が御旅所(おたびしょ)と呼ばれる場所までお出ましになるのですが、その際に兵が付きそうことを随兵といいます。明治時代に身分制度が撤廃になるまで、武家が兵を引き連れ歩いていたんですよ。

そして、最後尾には、奉納される飾り馬と馬を追う勢子(せこ)の集団が練り歩くんです。この飾り馬と勢子の行列が印象に強い方も多いのではないでしょうか。

それは見たことがあります!参加したことのある友人も多いですね。昔からあんな風に行列ができていたんですか?

もともと藤崎八旛宮は、現在の藤崎台県営野球場のあたりにありました。熊本城のすぐ側ですね。御旅所もその近くです。なので、当時は随兵行列も今ほど長い距離を歩いていたわけじゃないんですよ。

飾り馬も、本当は神職が乗る馬でもあったのですが、距離も近かったので乗馬せず、手で引いていたんです。それで、空いた鞍(くら)の上に装飾していたものが、段々と大きくなって今の飾り馬の形になったんですよ。この規模の飾り馬は全国を見ても少ないんですよ。

なら、昔は今のようにたくさんの飾り馬と勢子の方々がいたわけでもないんですね。

そうですね。明治以降に地域の方々からに奉納が増え、勢子も増えました。今では65団体以上が参加しているんですよ。本宮から、熊本市中心市街地を抜け、新町古町を経由して、段山にある御旅所をまで行き、また戻ってきます。

時代によって変っている!?藤崎八旛宮秋の例大祭の歴史

昔と今では、例大祭も大きく変わっているんですね!

1000年以上続いているので、時代によって少しずつ変わってきています。例えば、今はラッパを吹きながら練り歩いていますが、これも戦後から始まったことで、ここ数十年の話なんですよ。

えっ。そうなんですか!?あのラッパの音が聞こえると、「随兵行列が来たなー」と感じるので、当たり前のように思っていました。

誰かが初めたのを、周りが真似し始めて定着したんでしょうね。昔の随兵行列の記録を見ると、ラッパは描かれていないんですよ。

そうなんですね…。驚きです。他に昔と変わっていることってありますか?

勢子があげる「どーかいどーかい」という掛け声が年々早口になってきていますね。

そうなんですか!?

昔はもっとゆっくりとしたテンポだったそうですよ。あとは先程お話した飾り馬の装飾もかなり派手になっていますし、1000年前とは大きく変わっていると思いますね。明治時代に廃止されるまでは、随兵だけでなく、「放生会(ほうじょうえ)」と呼ばれる殺生を戒める祭儀も執り行っていました。長い歴史の中で、変化はかなり起きていると思います。

1000年以上の歴史からすると、私たちが関わる期間なんて、あっという間ですもんね。

そうですね、例大祭だけでなく、藤崎八旛宮自体も変化しています。場所が変わったはもちろんですが、昔は境内に土俵があったりしたんですよ。ちょうどこのあたりですね。有名な力士さんも訪れていた記録があります。

“ボシタ”って呼んじゃだめなの?

これ、デリケートなお話だとは思うんですけど、変化といえば、以前は”ボシタ祭り”と呼ばれていたこともあり、いまでも耳にすることがあります。「”ボシタ”って呼んじゃだめなんだよ!」と注意を受けたこともあるのですが。

藤崎八旛宮として、正式に”ボシタ祭り”と呼称したことはありませんが、一般的にそう呼ばれていた時期もありますね。これも歴史の中で変わってきたことのひとつです。それこそ1000年以上の歴史からみると、つい最近のことなんです。
「ボシタ」と呼ばれることがあったのも、囃子言葉で使われていたことが影響しています。そういう呼称が生まれたのも、明治半ばからですので、お年寄りの方は違和感を感じる方も多いようです。歴史と由緒のある例大祭ですので、正式名称で呼ばれると嬉しいですね。

藤崎八旛宮例大祭、ですね!

勢子として参加するには?

いま、65団体ほど勢子として参加されているそうですが、肥後ジャーナルとして新しく参加することってできますか?

実は勢子さんもかなり増えてしまったので、新規の受付はしていないんです。ただ、さまざまな地域や組織から多くの団体さんが参加していますので、声をかけていただくと快く混ぜてくださるところもたくさんありますよ!

なるほど、いつか肥後ジャーナルでも…!と思ったのですが。

一番、関わる人が多いのが随兵ですが、神幸式以外でも肥後神楽や能の奉納などもあります。お店や企業を回る飾り馬の飾卸なども地域のにぎわいになっていますし、随兵以外もぜひご覧いただきたいですね。

地域の伝統と歴史を守りながら

例大祭は、熊本最大の祭事ですが、地域の伝統としての役割も大きいですよね。

そうですね。神社は地域に根ざして成り立っています。例大祭も地域の皆さんがいて、はじめてにぎわいを見せます。1000年以上の歴史を大切にしながら、伝統と歴史を未来へも繋げていきたいと思います。われわれもしっかりと例大祭の意義を伝えていきたいですね。

こうやって神社を歩いていると、歴史の重みというか、故郷に戻ったような感慨深い空気感を感じます。私たちも一緒に盛り上げていきたいです!

今年の藤崎八旛宮例大祭は9月13日から17日までの5日間。最大の見所である随兵行列は16日。参加される方や、見学される方もただ楽しむだけでなく、歴史や文化を感じながら見ることで、より一層楽しめるのではないでしょうか。

ライター紹介

山田

山田

肥後ジャーナル編集部の大きい人。前職は地域経済誌記者やマーケティングのディレクター。将来の夢はヒモになること。 特技は誤字脱字。朝起きるのが苦手です。

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