下通り、上通り、新市街を中心とした熊本市の中心市街地。これらの大通りをつなぐようにたくさんの通りがあるのですが、みなさん通りの名前をどれくらい知っていますか?待ち合わせのときに「○○通り!」と言われてもわからないことって多いですよね。
調べてみると、江戸時代の地名が由来になっていたりと歴史がある通りもあるんです。今回は下通りの銀座通りから北を中心に、通りの名前を紹介していきます!
目次
今回紹介するのはこのエリア!
今回、紹介する通りは下通り界隈の通りのうち、銀座通りから通町筋に向かってのこちらの区画。
馴染みのある通りも多いのではないでしょうか?早速見てみましょう!
駕町通り
鶴屋百貨店とパルコがあった場所の間の通り。電車通りから銀座通りまでをまっすぐ繋いでいます。
以前、この辺りは侍屋敷があって、藩主とその一文を載せて運ぶ御駕籠衆の居住地だったことが由来だそうです。
三年坂通り
駕町通りと下通りをつなぐ緩やかな坂道で、蔦屋書店がある通りです。名前に親しみのある方も多いのではないでしょうか。
名前の由来を調べると諸説あったのですが、「川に向かう坂なので水門瀬(みとせ)=3年」という説や、「通りの先にかかる安巳橋が安政3年から4年にかけてできたので、年号が元じゃないか」説など様々でした。
個人的に一番気に入ったのが「気味の悪い坂なので転ぶと3年以内に死ぬ」という説でした。今はもう明るく気味の悪いことなんてないんですけどね!
安政町通り
三年坂を抜けた先のまっすぐ白川に向かう通りです。駕町セブンの隣の道ですね。
これは、先程名前の出た安巳橋にちなんで付けられたそうです。
りんどう通り
安政町通りの一本南側の通りです。
名前の由来は定かではありませんが、かつてりんどうの花が咲いていたとかありそうですよね。
ちなみに、熊本県の花がりんどうなんですよ!
武者小路
りんどう通りから駕町をまたいで下通りにつながる通りです。
ここも明確な由来は分からなかったのですが、駕町に侍屋敷があったとすると、その頃からの通りの名前かもしれませんね。
昇町通り
りんどう通りから一本南側の通りです。
戦のときに幟(のぼり)を掲げる御昇衆の居住地があったことが由来だそうです。
相撲町通り
昇町通りから下通りにつながる通りです。
この辺り一帯は、力士が住んでいた地域で明治40年まで相撲町という町名だったそうです。古い文献にはだいたい三年坂から西銀座通りにつながる下通り2丁目までと書いてありました。
今では、通りの名前だけが残っているようです。
歩町通り
駕町と並行し、1本白川側の通りです。有名なお店で言えば、天外天などがあります。
名前の由来は…分かりませんでした…。
ここまでが下通りから見て白川方面の通りの名前。次は反対、熊本城方面を見てみましょう!
市庁舎通り
マクドナルド下通り店の向かい側から、市役所裏に進む通りです。
名前の由来は、そのままなので調べるまでもありませんね!
城見町通り
市庁舎通りからCOCOSAを挟んで反対側の通りです。
今でこそビルが立ち並んでいますが、明治時代には陸軍の歩兵第23連隊があり、熊本城の天守が綺麗に見通せたそうです。
下通りを隔てた三年坂と合わせて、下通りで唯一街路樹が並ぶ通りです。
クラブ通り
城見町通りから1本南の通りで、ビル中に数々の飲食店がある通りです。
昭和の中頃に熊本最大級のクラブがあったことから、こう呼ばれるようになったそうです。
酒場通り
クラブ通りからさらにもう1本南側にある通りです。
名前の由来は定かではありませんが、きっと昔から酒場が多かったんでしょう。入り口には立派な看板があります。でっかくSUNTORYと書いてありますが、これも理由は分かりませんでした。
北栄通り
下通りアーケードと平行するように、新市街までつながる栄通りの北側部分です。栄通りはアーケードのある通り以外では一番長いかも知れません。
ここも名前の由来は分かりませんでした。
銀杏北通り
栄通りの一本熊本城側の通りで、城見町通りと銀座通りを繋いでいます。
銀座通り南側にも銀杏中通り、銀杏南通りがあり新市街まで続いています。
銀座通り
下通りの中心を横断する通りで、人の往来も多い通りです。
名前の由来は分かりませんでしたが、かつては武家の住んでいた土地で、熊本大空襲で大きな被害を受け、その後に整備されたそうです。
全国的に東京の銀座にあやかって「銀座通り」と付けられた通りは多いそうです。ちなみに、東京の銀座は徳川幕府が銀貨を鋳造した場所をそう呼んでいたそうです。
通りの名前もいろいろ
以上が下通りの銀座通りより北側の通りの名前とその由来です!
江戸時代からの地名が由来している通りから、近年名付けられた通りまでその歴史も様々。
せっかく通りの名前があるので、待ち合わせや場所を説明する時などに呼んでみてくださいね!
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