皆さんにとって熊本で「花園」と言えば、どこの「花園」を思い浮かべますか?
熊本市内に住んでいる私からすると「あーあの上熊本の近くのとこね」と思います。しかし、宇土市の方に聞くと「あーあの昔ひのくにランドがあったとこね」となり、八代の方に聞けば「あーあの税務署のとこね」となるようなんです。
あれ?「花園」って、熊本に三か所もあるの?
もし、熊本市民・宇土市民・八代市民がそれぞれ3人集まって「花園」の会話をすれば、噛み合わなくなってしまいます!
最初にできた「花園」はどこなのか、それぞれ関連性はあるのか、真の「花園」を求め調べることにしました。
まずは全ての「花園」に行ってみる
熊本市西区花園
熊本市西区の花園に行きました。本妙寺がある地域としても有名です。
しっかりと花園の名前が入っています。
花園の名のつく公園もありました。
宇土市花園
次は宇土市の花園へ行きました。
現在は「花園台レイクタウン」となった、かつて「ひのくにランド」があった場所としても有名です。
「花園」の名前のつく、花園池という池もあります。
宇土市立花園小学校は、何故かお隣の古保里町にありました。
八代市花園
最後は、八代市の花園へ向かいました。
こちらの花園内には、八代税務署があります。
3つの花園の中では一番小さな地域でした。
どこの花園が最初なの?
【熊本市立図書館】【八代市立図書館】【歴史文書資料室】にて、数冊の資料から調べました。
結論から先にお伝えすると、1番最初に花園の名前がついたのは、熊本市西区の花園でした。明治7年に「花園村」として4つの村が合併して誕生したそうです。大正10年からの「花園町」を経て、昭和49年からは現在の「花園」となっています。
2番目に名前がついたのは、宇土市の花園町でした。熊本市西区の花園より2年後の、明治9年に「花園村」として2つの村が合併して誕生しています。昭和41年からは現在の「花園町」となりました。
3番目に名前がついたのが、八代市の花園町です。こちらは、昭和33年に三つの町の各一部を合併して「花園町」が誕生しました。
140年以上前から、熊本市や宇土市には「花園」が存在していました。一番新しい八代にも、60年以上前から「花園」があったことになります。
それぞれの花園の由来や関連性について
そもそも花園ってどんな意味があるのでしょう。それぞれ関連性があるのかも、併せて調べました。
熊本市西区の「花園」は、春先に紅白の花々が咲き乱れ、上熊本・池田方面より見ると花園のようであったことにちなむとの説がありました。
現在も本妙寺方面は緑が多い地域ですが、140年以上前は町全体が花々の咲き誇る場所だったようです。
現在の花園内にある本妙寺通りです。
宇土の「花園」については、花園町内にある花園山にちなむとのことでした。現在も、花園レイクタウンの近くにある標高60メートルほどの山です。
しかし、この花園山が何故そう呼ばれるようになったかについては、わかりませんでした。
こちらは、花園山近くにある菅原神社です。こちらの花園も緑の多い地域でした。
八代の「花園」については、新市街構想のもとにできた町という情報しか得られませんでした。
合併する際になぜ「花園」という名にしたのかはわかりません…。
現在の八代の花園町については、特別緑が多いとは感じませんでした。
由来から見ると、それぞれ関連性は無いように感じます。
まとめ
・熊本で一番最初に「花園」の名前が付いた地域は熊本市西区で、二番目が宇土市、三番目が八代市
・それぞれの「花園」に関連性は無い(多分…)
という2点がわかりました。
また、熊本以外でも、日本全国に「花園」の名前がつく地域は三十か所前後もあるとのこと。
現在のように道路や建物が多く無かった時代は、熊本市西区花園のように、花が咲き乱れていた地域が日本全国にたくさんあったのでしょうか。
今回、宇土の花園山と八代の花園町については、由来等が解らずに不完全燃焼となってしまいました。より詳しくお知りの方は、是非ご連絡下さい!
花園五丁目公園
住所 | 熊本県熊本市西区花園5丁目9−28 |
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