【葦北郡】西郷隆盛や坂本竜馬も通った「津奈木重盤岩眼鏡橋」が美しい理由で作られていた。
アートの町、津奈木町が大好きです。
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こちらの↑「つなぎ百貨堂」に行った際、「つなぎ百貨堂」の横を流れる津奈木川に石橋が架かっていたので、しっかり眺めて参りました!
場所はつなぎ百貨堂の横

葦北郡津奈木町岩城にあります、つなぎ百貨堂でクラフトビールやワインやみなまた和紅茶などを購入して外に出た時、

「津奈木重盤岩(ちょうはんがん)眼鏡橋」というものを見つけました。

夕方少し前の空の下、いい風景です。完成年したのは嘉永2年(1849)の事。

真ん中がぐっと盛り上がった一連のアーチ。橋長18m、橋幅4.5m。

石橋の名前にも使われている重盤岩とは熊本百景の一つであり、津奈木町の中心にそびえ立つ溶岩が固まって出来た巨大な岩山です。

そうそう、こちらの岩山にモノレールで登って入れるお風呂の記事がこちら↓
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気候の良い時期に是非こちらもどうぞ!
傷を負った石工と、津奈木町の人々

石工は肥後藩と薩摩藩でさまざまな石橋を作ってきた、岩永三五郎の弟三平。
岩永三五郎の作った石橋は後に通潤橋の参考にされたと言われているそうです。

とっても怖いお話がありました。
石工三平は岩永三五郎とともに薩摩藩に招かれて、沢山の名橋を手がけました。しかし、橋が完成すると「秘密を保持するために石工を暗殺する」という噂が流れ、三五郎は、様々な口実で石工たちを藩外に逃げさせました。

(津奈木川はとても綺麗)
三平は、途中で追っ手に襲われ瀕死の重傷を負いましたが、津奈木の人々によって手厚く看護され、その恩返しに自分が持っている技術を人々のために生かそうと、この眼鏡橋を架けたと伝えられています
土木遺産より

(川に降りる事が出来ます。足元に気を付けてどうぞ)
石橋を作れるほどに三平は回復したとの事。「片や暗殺しようとする者」、「片や命を助けてくれる町民」という真逆の人間の姿を見た三平は、その後どのような人生だったのでしょうか。
津奈木重盤岩眼鏡橋は三平が個人で手掛けた「一番大きな橋」と言われております。

(夕方前の津奈木川の様子。橋の上を小学生たちが帰宅してゆきます)
その後の三平は、どのようにして亡くなったかなどは不明となっております。

兄の岩永三五郎はというと、薩摩藩の刺客により現在の出水市付近で捕らえられます。がしかし、肝の座った三五郎の姿に感心した刺客が、三五郎をこっそり逃がしたと言われております。
か、かっこいい。時代劇みたいだ…

この石橋が架かっている道は旧薩摩街道であり、西郷隆盛や坂本竜馬も通ったであろう石橋です。
土木遺産より

歴史と男気と人々の温かさを知れる「熊本県指定文化財」です。
熊本中心部からですと車で一時間半程と少し距離はありますが、見所たくさんの津奈木町ですので、ドライブがてらに是非。橋の下からじっくり眺める事が出来ますよ。
津奈木重盤岩眼鏡橋
| 住所 | 葦北郡津奈木町 葦北郡津奈木町岩城1601の「つなぎ百貨堂」横 |
|---|---|
| 駐車場 | あり |
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