アンコールワットに熊本の侍が訪れていた?!海外で熊本を見つけた話。
肥後ジャーナルは、その名のとおり肥後、熊本の情報サイト。熊本県内のいろんな情報をお届けしているメディアです。
今日はちょっと変化球で、遠く離れた異国で熊本を見つけたエピソード。
カンボジアの世界遺産「アンコール・ワット」で、まさかの熊本に出会った話です。
そもそもアンコールワットって何?
世界中からたくさんの人が訪れる、人気の観光地であるアンコールワット。
江戸時代初頭に熊本のサムライが来ていたという話を聞き、その痕跡を見に行ってきました。
ものすごくざっくりアンコールワットを説明すると、12世紀初頭にヒンドゥー教寺院として建立され、16世紀後半には仏教寺院に改修されたもの。
世界最大の仏教遺跡と言われています。荘厳な雰囲気で、特別な存在感がありますね。
アンコールワットで熊本発見!
熊本に関するものがあるのは第二回廊の西側、十字回廊の柱。現在ではクリアに見ることは出来ませんが、墨書きされた漢字の文章があります。
書いたのは朱印船に乗って、この地を訪れた加藤清正の重臣である森本一久の次男、森本一房。右近大夫(うこんだゆう)と名乗っていました。
さて、時は17世紀前半、江戸時代の初期。
森本右近大夫は鎖国政策が始まる前の寛永9年(1632年)にアンコールワットを訪れ、4体の仏像を奉納したことなどを柱に書き記しました。
あまりはっきり見えないのが残念ですが、漢字で書かれたが縦書きの文章が見えますね。
アンコールワットが世界に知られるようになったのは、19世紀半ばにフランス人が訪問してからのこと。その200年以上も前に日本人が訪れていたなんて、そしてその日本人が肥後のサムライだったなんて、熊本人としてちょっとドヤりたい気分です。
そもそもなぜアンコールワットへ行ったの?
森本右近大夫が、アンコールワットを訪れていたと言っても、観光旅行だった訳ではありません。
肥後の侍や商人が東南アジアを目指したのは、朱印船貿易のため。加藤清正は肥後を豊かにするための商業政策のひとつとして朱印船貿易(南蛮貿易)を行いました。
朱印船貿易によって輸入していたのは鹿の皮(甲冑の道具)象牙、蜂蜜、パームシュガー、ウコン、サメの皮、孔雀の羽、生糸、胡椒、水牛の角、かぼちゃ、ザボンなど。
日本から輸出していたものは一般的には銀が知られていますが、小麦や硫黄などもありました。
当時すでに海を渡って、アジア各国でビジネスをしていたなんて、かっこいいですね。
まとめ
1632年、アンコールワットに肥後の侍「森本右近太夫」が訪れていたことを知りました。
ちなみに巨木好きとして推したいのですが、アンコールワット遺跡群には、ぐっとくる巨木もたくさんあります。
こんなのや
こんなの
また、カンボジアの民族舞踊「アプサラダンス」は、どこか山鹿灯籠踊りを思い起こさせます。
何だか親近感。
アンコールワットがあるのは、カンボジアのシェムリアップという街。
福岡空港を午前中に発ち、ベトナムやタイなどを経由してその日の夕方から夜には到着できます。
アンコールワットの素晴らしい遺跡を訪れたら、ぜひ森本右近大夫が書いた縦書きの文章を見て、熊本との古いつながりを確認してみてくださいね!
記事シェア