熊本県内の何気ない街並みのあちこちにある、ちょっと気になる小さな歴史スポット。
熊本の歴史に思いを馳せたくなる、誰かに小ネタとして話したくなる、そんなスポットをご紹介するシリーズ企画です。第1回目は「安政橋」を紹介します。
そもそも安政橋ってどんな橋?
根子岳を水源とし、熊本県中北部を流れたのち有明海へ注ぐ一級河川、白川。
いくつもの橋がかけられていますが、今日ご紹介するのは熊本市内の「安政橋」です。
安政橋のほか安巳橋(あんきばし・やすみばし・やすきばし)とも呼ばれています。
場所は、市電の走る大甲橋と、銀座通りから伸びる銀座橋の間にあります。
現在の橋は昭和43年竣工。水色のアーチが目印の比較的小ぶりな橋で、車は一方通行です。
交通量はそれなりに多く、写真撮影の間にも歩行者・自転車・車が次々にやってきました。
歴史は古く、もともと江戸末期の安政4年(1857年)にかけられた橋と言われています。
小泉八雲の文学作品にも登場!
この安政橋は、小泉八雲の「橋の上」の舞台とされています。
熊本大学の前身である第五高等学校の英語教師であった小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、熊本を舞台にした作品をいくつも残しました。「橋の上」は短編小説とも随想とも言えそうな作品で、冒頭から登場する橋が安政橋であると言われています。
作品の中には橋の上から熊本城が見えるという記述がありますが、残念ながら今はビルなどに隠れて熊本城の姿は見えません。
小泉八雲が熊本で過ごしたのは1891(明治24)年から3年ほど。
大天守・小天守は西南戦争のあった1877(明治10)年に焼失しているので、当時見えたとなると宇土櫓などでしょうか。
街の景色は変わっても、安政橋の上から眺める白川の流れの美しさだけは、今も昔も変わらないのかもしれません。
まとめ
江戸時代末期から西南戦争など激動の明治を経て大正と昭和、さらに平成も終わる現在まで、人々の暮らしを支える安政橋。熊本の小さな歴史スポットです。
橋の上に立ち、小泉八雲が見た熊本、そして明治時代の白川へと思いを馳せてみてはいかがでしょうか?
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