【地名について調べてみた】熊本市北区/龍田・竜田・立田・たつだの謎
先日の肥後ジャーナルの記事「【熊本プチ歴史散歩6】「洗馬橋」電停前でタヌキを探してみた」で「洗馬橋」「船場橋」という2種類の表記について書いたところ、読者の方から「立田」と「龍田」も謎!というコメントをいただきました。(ありがとうございます!)
たしかに「たつだ」には複数の表記があります。
今回はそんな読者様の謎を解くべく、熊本市北区の龍田界隈へ行ってきました。
熊本市北区「たつだ」エリアを歩く
まずは地名。現在の地名(住居表示)では「龍田」と書きます。熊本市北区には龍田一丁目から九丁目まであります。
「龍田陳内」という地区もありますね。
「龍田小学校」、「龍田中学校」もこの表記です。
一方で、泰勝寺跡などがあるのは「立田自然公園」。
「立田山」の山麓にあたる場所なので、それにならった名称なのかもしれません。
ただし立田自然公園の所在地は龍田ではなく、熊本市中央区黒髪になります。ややこしい。
そんな中でJR豊肥本線の駅は「竜田口」。ニューフェイスが出てきました。
郵便局も「竜田郵便局」と書くようです。
さらには、当然のように別の表記が並んでいるケースも。横断幕には「龍田」で歩道橋には「竜田」。ややこしい!!
龍田、立田、竜田。3種類もあってなかなか複雑です。ざっと見ると
龍田→地名、龍田中、龍田小
立田→立田山、立田自然公園
竜田→竜田口駅、竜田郵便局
特に法則性は感じられず。もしかして、好みとかフィーリングで名乗っているのかしら?
なんて思っていたところ、ふと目にとまったバス停の名は
まさかの「たつだニュータウン前」。ついに漢字の世界を飛び出し、ひらがなまでも登場しました。
たつだの謎、深まるばかりです。
さっぱり分からないので調べてみた
龍田界隈を歩いてもよく分からないので、熊本市の歴史をひもといてみることに。
角川書店の「熊本県地名大辞典」によると、古くは南北朝時代から「立田」という地名があったのだそう。14世紀の半ばごろですね。
そして時代が下って江戸時代には「上立田村」「下立田村」という地名が見られます。町村制の施行により上立田村と周辺の村と合併し、「竜田村」となったのが1889(明治22)年4月1日。
立田→竜田の順に変化したということですね。文字を簡略化するならともかく、わざわざ難しいほうの字に変わったのは何だか不思議です。
もしかして1889年は辰年だったとか?と思いきや、普通に丑年でした。
そして龍、は竜の旧字体。現代では人名などには使えますが、常用漢字ではありません。
竜田と龍田がどのように使い分けがなされてきたのか、気になるところですが、明確な資料は見つけられませんでした。
清少納言のお父さんが絡んでいる説
とにもかくにも「龍田」や「竜田」より「立田」が古いことが分かりました。立田自然公園のある立田山が「たつだ」という地名の元になったと思われます。
立田山は標高およそ152メートル。人との関わりは古く、なんと縄文時代の遺跡・遺物も見つかっていますが、残念ながら名前の由来そのものは不明です。
一説には、黒髪山と呼ばれていた山を、平安時代に清原元輔(清少納言のお父さんですね)が役人として肥後国へ来た時に立田山と名付けたとも言われていますが、裏付けとなる文書などは残されていません。この辺り、もうちょっと深掘りできそうな気がします。
図書館の閲覧室の利用やレファレンスサービスが再開されたら、じっくり調べてみたいところです。
まとめ
読者様のツイートをきっかけに調べてみた、立田・龍田・竜田の漢字表記にまつわる謎。
結局よく分からなかった、というモヤっとした結果でした。リサーチ及ばずですみません。
とは言え南北朝時代には「立田」という土地があり、明治期以降に「龍田」「竜田」という表記が出てきたことは確認できました。地名に歴史ありです。
ひとつの地名に複数の漢字表記がある、というのは他でも見られる現象です。
熊本市で言えば、江津湖の周辺にある「江津」「画図」などもそのひとつですね。
今後も気になる地名があれば、突撃してみたいと思います!
立田自然公園
所在地 | 熊本市中央区黒髪4丁目610 |
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電話番号 | 096-344-6753 |
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