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熊本市にかつて存在した路面電車「熊本百貫線」の跡地を調べてみたら泥沼にはまった

ライター:山田 山田
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熊本の路面電車といえば、田崎と上熊本駅から中心市街地で交わり健軍まで走る熊本市電。

実は大正から昭和にかけて、今はなき路線が多数存在していたそうです。そんな中で気になったのが、田崎から西区松尾町周辺までを結んでいたという「熊本百貫線」。どこからどんな風に走っていたのか、生半可な気持ちで歴史を調べて泥沼にはまりました。


かつて熊本には多数の路面電車が存在していた。

以前は南熊本駅に伸びる春竹線、川尻まで結んでいた川尻線などがあったほか、子飼にも延びていたそうです。

そんな中で個人的に気になったのが、田崎から西区松尾町周辺まで坪井川沿いに延びていていたという「熊本百貫線」。

なぜなら個人的に意外性ナンバー1。ということで、調べてみましたが、資料がとにかく少ない。

どうやら、以前は熊本電気軌道という会社が経営していたもので、運行休止中に熊本市が買収したそうで、市電として動いていた時期はなく、公式の資料はほとんど残っていないそうです。

そこで、熊本市交通局に相談したところ、細井敏幸さんと言う方が個人で調査し1995年に「熊本市電70年」という本を自費出版された方がいる、との事で、まずはお話を聞くことに。

めちゃくちゃ貴重な話がきけた上、昔の地図まで見せていただけたので、それをもとに現地を巡ってみたいと思います。

いざ、百貫線跡を進む

こちらが、昔の地図をベースになんとなくGoogleMAPに落とし込んだ百貫線の路線図(推察)です。

この区間で8つの駅をつないでいたそう。

とりあえず、行ってみれば当時の名残がある道もあるでしょうし、石碑などもあるはず!

地元の方に聞き込みしながら進めば、大体の全体像もつかめるでしょう!

ということで、まずは田崎。

田崎市場やラウンドワンがある通りです。

当時、駅があったと言われるのが、現在「よしむら歯科医院(現在閉業)」がある場所。

その当時の道路は、現在裏手になっているこっちの道で、ここから電車も走り始めていたそう。表の道路は当時倉庫などがあったようです。

ここから、まっすぐ上代方面に進み、坪井川沿いに高橋を経由し、百貫港に向かいます。

跡形がまったくない

ということで、現地に赴きました。が、本当に普通の道路。
地元の方に話を聞きますが「あ~、表の道路を走ってたらしいね」というお話。

それもそのはず。

百貫線が最後に運行したのは1945年。現在2020年。つまり、当時10歳だったとしても85歳。乗ったことがある!って人が、とにかく少ないんです…。

河川改修や道路整備などで、地形が変わっている場所もあるらしく、単純に現在の地図に当てはめるのは難しいそう。

ここは、西区上高橋ですが、現在のメイン通りではなく、こちらの河川敷を走っていたそうです。

また別の方の話では、現在バス停のあるこのあたりに百貫線「上高橋」の停留所があったそうです。面影はまったく残っていません……。

終着点は百貫港

百貫は西区松尾あたりの地名で、以前は港町として栄えていました。

現在は西松尾に「百貫石公園」という公園があります。散歩をしていたおじいさんに話を聞くと、ここにかつて百貫港があったらしいです。

そのちょっと手前に駅があったそうですが、現在は何も残っていません。

おじいさんに見せてもらった「松西校百年」の記念しにも、百貫線の記述がありました。

これによると、小島海岸での潮干狩りや、河内蜜柑見物で観光客も多く利用したほか、鮮魚商人が熊本の街へ魚を売りに行くためにトロッコを引っぱって走るなどしていたそうです。

実際、現地の方々も親や近所の方から聞いたという話がほとんど。ですが、「ああ、百貫電車な」といろいろとお話くださいました。

結局百貫線とはなんだったのか

ということで、かつて熊本市内を走っていたという百貫電車について調べましたが、現地にはすでに名残はなく、知っている人もかなり少ないんです。

「熊本市電70年」の著者、細井敏幸さんによると、

  • 百貫線は当初蒸気機関車で、百貫石~高麗門(北岡山周辺)までをつないでいた。
  • 電気機関車になった際に、百貫石~田崎になった。
  • 百貫石にあった百貫港が当時、熊本市中心部に最も近い港で島原などから鮮魚を販売する行商人などが利用していた。
  • 戦時中、金属回収の対象となり線路などの鉄が回収された。線路は健軍線延伸のためにも使われた。
  • 権利は残っていて、会社ごと熊本市が買収したが運行再開することなく、廃止になった。

そうです。また、地域の方々の話では、

  • 今では見ることのない、木造の電車だった。
  • 走っている電車に飛び乗れるほどゆっくり走っていた。

などの情報がありました。

地域の昔の話って、インターネットには載っていないことも多いですし、口伝だけで語り継がれていることも多いので、調べるほど調べるほど難しくなっていき泥沼にはまっていくのですが、現在なぜこうなっているのか?に繋がる大切な話も多いものです。熊本の歴史も調べてみるとまだまだ面白い話がありそうですね!

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ライター紹介

山田

山田

肥後ジャーナル編集部の大きい人。前職は地域経済誌記者やマーケティングのディレクター。将来の夢はヒモになること。 特技は睡眠で、朝起きるのが苦手です。

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