ちょっと気になる熊本の地名についてゆるっと調べてみる不定期企画、【地名について調べてみた】を久々にお届けします。
これまでは熊本市北区龍田や熊本市東区江津についてなど、現地をうろうろしつつ調べて来ました。
今回は熊本城のすぐ近く、「熊本市中央区千葉城町」です。
藤園中・城東小のあたりは「千葉城町」
熊本城の周りをふらっとお散歩していたら、電柱に貼られている地名に「千葉城町2」の表示を発見。
場所は藤園中学校と城東小学校が並んで建っている辺りです。坪井川と熊本城の間に当たる地域。
何となくこのあたりは「坪井」なのかと思っていたけれど、「千葉城町」という地名なんですね。
すぐそこに熊本城がある場所で「千葉城」という地名。お城っぽいけど、なじみのない名前です。
加藤清正が築いた熊本城の前身として、鹿子木親員(かのこぎちかかず)の居城である「隈本城」があったことまではうっすら知っていたけれど、それ以前については無知。
というわけで、調べてみました。
千葉城って何ですか
毎度おなじみ、熊本県地名大辞典。
千葉城という地名は江戸時代からあったようです。元になったのはまさにお城の「千葉城」でした。
熊本城・隈本城よりさらに前、室町時代に茶臼山の東側に作られたのが千葉城です。
菊池氏の一族であった出田秀信が、文明年間(1469〜1487年)に築城したと言われています。だいたい応仁の乱とかの頃ですね。
ちなみに現在の千葉県にある千葉城=亥鼻城(いのはなじょう)とは全く別物。千葉氏とも無関係です。
熊本キャッスルホテル近くの信号の先にある橋は「千葉城橋」。
遠くに小さく見えているのが、熊本城の大天守です。
千葉城橋を渡った先の右手にあるのは「千葉城公園」。
この公園の先、標高30メートルほどの丘陵が千葉城跡です。2017年6月まで、ここにはNHK熊本放送局がありました。
ちなみに現在はNHKの建物の解体工事中でもあり、敷地内に入ることはできません。残念。
坪井川の対岸から見ると、こんもりとした丘陵であることがよく分かります。城の遺構は特に無いようですが、こうして見ると確かにお城っぽいかも。
お城の変遷をものすごくざっくり言うと
千葉城町にあった出田秀信の千葉城
→古城町にあった鹿子木親員の隈本城
→加藤清正が築城した現在の熊本城
という感じのようです。
江戸時代から続いてきた千葉城という地名が、現在の町名である「千葉城町」になったのは昭和40年のことでした。
JT跡地と高橋公園も「千葉城町」
千葉城公園から道路をはさんだ向かいにあるのはJT(日本たばこ産業熊本支店)の跡地。
長らく更地になっていましたが、現在は熊本城の復旧工事のために使われています。
フェンスに囲われた中には、たくさんの建築資材や機器、崩れた石垣の石などが置かれています。
さらにその隣は高橋公園。地名では「千葉城町1」です。
ゴレンジャーみたいな銅像は、肥後藩の思想家・横井小楠とその仲間たち。横井小楠は内坪井の生まれで、このあたりは地元です。
ちなみにこのゴレンジャー状態の銅像は、左から坂本龍馬、勝海舟、横井小楠、松平春獄、細川護久の像です。
横井小楠と関わりが深く、激動の幕末・明治維新期を生きた人たちですね。
まとめ
熊本市中央区、千葉城町。
その名のとおり「千葉城跡」だけでなく、横井小楠の銅像などもあり、熊本城も目の前。
歴史好きにはたまらない地区と言えそうです。
「千葉城町2」の表示を見ながら藤園中学校前のゆるやかな坂道を上っていくと、目の前には熊本城。
熊本地震からの復旧作業が続く、石垣と北十八間櫓。現在進行形の熊本城も美しいですね。
熊本の近世・近代から近代まで、熊本の歴史がたっぷり詰まった千葉城町、ちょっと勉強になりました。
古い時代の熊本に思いを馳せるお散歩コースに、いかがでしょうか。
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